「富山と東京」が創刊70周年
月刊誌「富山と東京」は2025年で創刊70周年を迎えました。
昭和31年(1956)年創刊以来、70年という長きにわたり発行し続けることができたのは、ひとえに読者の皆様のご支援の賜物であり、心より感謝申し上げます。
70周年を迎え、改めて先人の功績を讃えるとともに、創刊時の熱い思いを受け継ぎ、これからも富山と東京を結ぶ懸け橋として、読者の皆様に価値ある情報をお届けできるよう努めてまいります。
70周年記念として、創刊号の電子版を公開中です。ぜひご活用ください。
今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
創刊を祝す
東京富山県人会会長 大谷米太郎
東京及び東京周辺の在住富山県人は20万人を超えるだろうと言われている。これらの県人勢力の親和と大同団結を計ることは、理想として高唱されていることであるが、なかなか実行困難なことである。
そこで前々会長当時から、在住地域ごとに各区県人会の創設を奨導したり、職場別や業種別や、あるいは出身地別や学校の同窓会別の団体を助成し、それらの団体の有志を網羅して組織しているのが現在の富山県人会である。
県人会では時折の会合と年一回、名簿または会報を発行しているが、横の連絡上、甚だ不充分であることを認めているが経費等の関係上、漸進的希望を懐いているに過ぎない。
然るに今回、有志の発起で「富山と東京」なる月刊雑誌の刊行を見ることは、右のような本会の不満を補うてくれるであろうと慶祝に思うものである。
ただ、特殊雑誌の刊行はなかなか困難な事業と聞いているので健やかなる成長を切に祈るものである。
発刊の挨拶

富山と東京社 社長 中塚万次
私は昭和4年に上京し今日に至るまで約25年間郷土人の集りに出ているもので云わば物好きの類であろう。あらゆる会合で会う人はあってもその時だけのことで親しみもなければ信頼も置けない。
知る範囲では各区に県人会があり業種別の集りもあり出身地別の会や同窓会等々多々あって思い思いに集っていてもその会の外のことは全然知らないで居る人の方が多いように思う。
それでは折角の会合も飲まん食わんの集りで何の意味もなさない。甚だ範囲のせまいものであろう。
去る2月17日永田町の南甫園で開かれた関東地区富山地区富山県人団体連絡協議会にも港区県人会を代表して出席したものの知る人が少なく知らない人同志の会合で終わった。話せばわかる同県人であり乍ら否同町村の出身であり乍ら他人行儀で居る人の多いことである。
私はここで話を得て「富山と東京」の必要を感じたのであった。富山と東京を往復し郷里の出来事と東京及ふきんの各種会合等の消息を絶へずのせて横の連絡を取り、人事のお知らせに産業の発達に商売の発展に人智の進歩に就職の斡旋に慶弔のお知らせに役立てばと急に志を立て、諸先輩の応援を得て微力乍ら私財を投じてこの月刊誌「富山と東京」を発行する運びになったものであります。
幸いにも東京及近県の富山県人の機関誌として役立てば甚だ光栄の至りであります。私の方針としては他人に無理難題は云わぬと云う気持ちでありますから心の応援と善きにつけても悪しきにつけても投書投稿を歓迎いたして居るのであります。
又善き行為のあった方美挙をなされた方成功者の苦労話等絶えずのせてご紹介し若い方々の参考に供したいと念じて居ります。
御指導と御べんだつを切にお願いして御挨拶といたします。
(月刊「富山と東京」創刊号 巻頭ページより)