大河「鎌倉殿の13人」に寄せて…巴御前その後

NHK大河ドラマの2022年は「鎌倉殿の13人」が放送されていることは皆さんご存知だろう。
筆者は、同ドラマ登場人物の源義経に関わりがある富山県の絶景・観光地として2022年6月2日アップで「雨晴岩」を、同ドラマには登場しなかったが、紹介している。
そしてこの記事の中で、時期は異なるが、木曾義仲の側近として付き添い砺波山(倶利伽羅峠)の戦いなどで活躍した「巴御前終焉の地」の碑がJR城端線 福光駅前に建立されていることにも触れている。

富山県内ではないが、あいの風とやま鉄道/IRいしかわ鉄道の境界駅 倶利伽羅駅の脇に立つ火牛の像と「木曽義仲ゆかりの地」の看板。

その巴御前は「鎌倉殿の13人」のストーリーにおいては、木曽義仲が1184年(寿永3年)の粟津の戦いで討たれた後、和田義盛の妻になって、以後は鎌倉で暮らしていた。ここからはネタバレ注意になるけれども…ところが1213年(建暦3年)に和田合戦において和田義盛が討ち取られてしまった。というトコロまでは「吾妻鏡」に沿ってドラマが展開されてきた。

巴御前が晩年を越中国礪波郡福光で過ごしたことが描かれなかった…

「鎌倉殿の13人」の前週40話(2022年10月23日放送)の次回予告を視た限りでは、和田合戦後に巴御前が颯爽と登場して何かをしてくれるのではないかと期待したが、ドラマ上ではあっさりドコかへと立ち去ってしまった。
歴史に詳しい方にはイマさらネタと思うが、源平盛衰記による巴御前のその後は「和田合戦の後に、越中国礪波郡福光の石黒氏の元に身を寄せ、出家して主・親・子の菩提を弔う日々を送り、91歳で生涯を終えた。」という後日談が語られている。
「鎌倉殿の13人」では各週の番組エンディングに放映されるゆかりの地訪問動画があるが、第41話(2022年10月30日放送)では巴御前が鎌倉を去ったその後について、神奈川県小田原市の善栄寺が「巴御前が木曾義仲と和田義盛の菩提を弔うために創建したと伝わります。」とは紹介された。しかし、その流れでゆかりの地訪問動画に、巴御前がその後に礪波郡福光の在地領主の石黒氏に身を寄せた話の語りがあるとか、それとともに南砺市福光に立つ「巴塚」は映るかな…とか、せめてナレーションくらいでは語ってくれるかな…とか、思ったけれども、完全にスルーされてしまった。
ということで、富山県人にとっては「雨晴岩」に次いで名残惜しい番組展開になっている。
そこで、ならば南砺市福光の「巴塚」をこの機会に、せっかくだからココで紹介してしまおう…という考えにより、こちらの方で記事にさせていただくことにした。

「巴塚」を県道10号側の対面から眺めた全景。

「巴塚」の場所はJR城端線 福光駅の南西700mくらいの地点の、県道10号金沢湯涌福光線沿いにある。

「巴塚」を県道10号北東側から南西向きに眺めたトコロ。

「巴塚」には説明板と石碑(巴松の向こう)が立っている。

「巴塚」を県道10号南西側から北東向きに眺めたトコロ。

石碑。

説明板。

福光駅前の「巴御前終焉の地」の碑

この度「巴塚」を訪問した折に、以前に紹介しているJR城端線 福光駅前に立つ「巴御前終焉の地」の碑を、良い機会だから写真を撮り直した。なのでその写真もこの際だから載せさせていただく。

福光駅西口駅前広場に立つ「巴御前終焉の地」の碑の駅舎側。

福光駅西口駅前広場に立つ「巴御前終焉の地」の碑の福光橋側。向かいの建物は福光駅駅舎。

「巴御前終焉の地」の碑に刻まれている説明文。

この碑は2015年(平成27年)10月17日に巴御前プロジェクト委員会により建立された。棟方志功…の碑とともに福光駅西口駅前広場のシンボルになっている。

ここに掲載の内容はアップ日時点の情報になります。その後に状況の変化や、変更があった場合にはご容赦ください。

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